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2017.02.24「ほぼ日」のコンテンツ・マーケティング

「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する株式会社ほぼ日が3月中旬にジャスダックに上場されることが決まったと新聞各社が先ごろ報じた。「ほぼ日」の代表は、言わずと知れたコピーライターの糸井重里氏であり、彼のような著名な広告人、文化人が経営する会社が上場を果たすこと自体稀有なことであるため、ネット上でも大きな話題となっている。

若い仕事仲間に糸井重里の代表作について聞いてみたら、知らないという答えが続き、驚いた。当然かもしれない。「不思議、大好き」「おいしい生活」などの名作コピーが世に出たのは80年台前半。彼らはまだ生まれてもいないのだから。私は糸井氏のコピーライターとしての才能以上に、プロデューサーとしての先見性や知性にかねがね敬服している。彼が「ほぼ日新聞」を立ち上げたのは1998年。その年のインターネットの普及率は13.4%(「情報通信白書」より)最大128bpsの常時接続サービスが一部の企業向けにサービスを開始したばかりだった。そんな時代に彼は、きっぱりと広告の仕事に見切りをつけ、まだ海の物とも山の物ともつかぬインターネットを自らのビジネスの主戦場とすることに舵を切ったのだった。

糸井氏がやり始めたのは、インターネット上の壁新聞を作ることだった。当時、ブックマークして、実際に(ほぼではなく)毎日更新されるページを読んでいたのだが、何のためにこんなサイトを作っているのか私には全く理解できなかった。でも、その内容はすこぶる面白かった。まだブログも一般化していない頃に、こんないわば私的なお遊びのような内容を堂々と掲載しているサイトは他にはなかったからである。評判が評判を呼び、サイトへのアクセス数はうなぎ登りに伸びた。主な読み物は「今日のダーリン」と題された糸井氏によるエッセイだ。これは毎日読まねばならなかった。何故ならその日のうちに消されるからだ。(後に書籍として発刊される)そのうち企業家やタレント、文化人を相手の対談やインタビューなど、ページの内容もどんどん充実して来た。

しかしながら、(これが彼の戦略家としてすごいところなのだが)いくら人気が出たり、中身の値打ちが上がっても、「ほぼ日」は広告をとったり、閲覧を有料化することは一切なかった。ただ一つ、彼がやったことは、サイトを見るために集まって来た人たちに向けて、オリジナル商品を作って、売ったのである。その代表が「ほぼ日手帳」だ。「ほぼ日手帳」はサイトが誕生してから3年後の2001年に開発されている。つまりはじめから戦略として織り込み済みだったのだ。それ以来、この商品は読者の声を採り入れて改良につぐ改良を重ね、今も人気商品として「ほぼ日」の収益の大半を支えていると言う。

さて、ここまで私は「ほぼ日」を説明するのに「コンテンツ」という言葉をわざと避けてきた。賢明な読者の皆さんはもう既に私の言いたいことに気づいておられるだろう。そうなのだ。「ほぼ日」のやっていることは今日最も進んだマーケティング手法の一つと目されている「コンテンツ・マーケティング」そのものだったのだ。念のため、ここで「コンテンツ・マーケティング」の生みの親であるアメリカのContent Marketing Instituteによる定義をここで引用しておく。「コンテンツ・マーケティングとは、適切で価値ある一貫したコンテンツを作り、それを伝達することにフォーカスした、戦略的なマーケティングの考え方である。見込客として明確に定義された読者を引き寄せ、関係性を維持し、最終的には利益に結びつく行動を促すことを目的とする。」

http://contentmarketinginstitute.com/what-is-content-marketing/

 

「コンテンツ・マーケティング」という言葉が日本で流布するずっと以前から、いや恐らく、アメリカでもその概念が生まれる以前から、糸井重里氏はインターネットの特性について「頭から血が出る」ほどに考え抜き、後に我々が「コンテンツ・マーケティング」と呼ぶことになる戦略的なマーケティング手法に行き着いた。また、10年ほど前から、「ほぼ日」を上場させることを考え、準備が整った昨年、社名を「株式会社東京糸井重里事務所」から「株式会社ほぼ日」に変更している。そして今回株式公開を果たした。

糸井重里、現在68歳。上場は彼の引退を飾る花道であろうか。稀代のビジョナリーであり、経営者である糸井氏の今後の動向が気になる。

*「東京糸井重里事務所」から社名変更された「株式会社ほぼ日」のロゴ。デザインは佐藤卓氏。

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